私たちも「声」をあげるべきときなのかも
建設関連業、特に公共事業関係の業務を誇りをもって行ってきた私たちでさえも、知らず知らずのうちに毒されていたのかもしれません。
「お金がないから公共投資ができないというデマ」に。
「人口が減少するから公共投資は無駄というデマ」に。
この本は、そのようなデマはもちろん、インフラへの投資こそが景気回復と国力増強、そして国民の命と暮らしを守るために役立つこと、いや、必須のことであることを明確に教えてくれます。
この本の第一章のタイトルに既成概念を超えた「超インフラ論」とあります。本書をお読むと、この既成概念、実は既成概念でもなんでもなく、操作されて作り上げられた虚偽概念、流言飛語、つまりデマの一種にすぎないことがわかります(藤井先生、すみません。揚げ足を取るような話で)。
それでも人々は言います。「総理も財政均衡と言ってる」、「財務省によると国の借金が危機的状況だ」、「新聞もNHKもコスト縮減が大事だと伝えてる」、「地元の市長選の候補者も、公共事業を削って福祉や教育に回すとしか言わない」、「テレビで取り上げられる道路は誰も通っていないし、文化施設も誰も利用していない」、「公務員は働かず税金を無駄遣いしている」、「人口が減少しているのにインフラは不要だ」と。
これらが実は誤りで、意図的に流された情報「かもしれない」と考えてみることが必要ではないでしょうか?
このようなデマの中でも一番私たちがつらいデマ、それは「公共投資=公共事業を増やすということは、建設業者の利権確保に過ぎず、奴等の私腹を肥やすだけ」というデマ。
これを言われ続けてきたから、私たちも「声」をあげられなかったのです。
そのようななかでの東日本大震災の発生。
東北地方の建設業者・建設関連業者は必死になって復旧をしていました。
日本中から建設業者・建設関連業者が駆けつけて復興をしています。
でも、私たち建設関連業に従事している者の一番の誇りは、「人々の生活を支えるインフラ整備のお手伝いができること」、「人々の命を守るため災害を未然に防ぐインフラ整備のお手伝いができること」です。
災害の復旧復興に貢献することは、それなりに誇れることですが、本来の私たちの仕事ではありません。むしろ、なぜこの津波を止められなかったのか、なぜこの建物が崩壊してしまったのか、と忸怩たる思いで現場を見ていたものと思います。
当社の業務は、直接、防災のために築堤をしたり、頑丈な建造物を建築することではありません。それでも、安全安心な社会を作ることを間接的にお手伝いしていることに誇りを持ちます。
「私腹を肥やす」・・・なぜいけないのでしょうか?
誰もが(大抵の人は)、仕事をして「私腹を肥やして」います。
しかも、私たちは自分で自分の仕事に値段をつけることさえできないのですw
私たちからも「声」を発信するときかもしれないと思い、この記事を書きました。
この本をひとりでも多くの方が読んでいただき、藤井先生の言う「思考停止」から脱却されることを望みます。
もっともっと書きたいことがありそうなので、このテーマ、つづきます。